2010年伝説の認定医取得報告記事 感動の最終回
2010年伝説の認定医取得報告記事 感動の最終回
前回での話は
出産の翌日に日本矯正歯科学会・認定医審査面接試験を無事終えた歯科医師・中山須美子であったが、数ヵ月後には3次審査を受けなければならない。
3次審査を控え、満身創痍の中山であったが、この後、中山には驚愕の指令が出ることになる!いったいどうなってしまうのか!?
前回の記事はこちらから
以下中山からの原文のそまま
数日後、無事に退院し自宅へ戻ったのですが、まだ体のあちこちが痛み、さらに寝不足という毎日で、昼夜問わず泣く我が子と共に泣いていた私に院長からまたしても一通のメールが・・・
「三次試験までに資料もっと綺麗に作り直しね」・・・あぁ、なんて部下思いの院長なのでしょう。
貴方のおかげでアンビリーバボーな人生を送ることができてます!!
などと、半ばやけっぱちで、こうなったらぐぅのねも出ないくらいクオリティの高い資料を作ってやる!!と、右手にマウス、左手に乳飲み子を抱え、死ぬ気でパソコンに向かっていました。
そんな優しい院長のおかげで、学会の試験会場に展示されている私の資料を見た多くのドクターから、「素晴らしい!!完成度が高いね!!」と称賛のお言葉を頂き、新米ママは念願の認定医試験に合格することができました。
先日読んだ本に「人間はあらかじめどこで諦めるかを自分で決めている」と書いてありました。
私も、皆さんの声援がなければ出産を優先し、試験は諦めていたと思います。
でも、専門医試験を受けながら協力して下さった院長、休日返上で手伝ってくれた福田先生、出産経験者の大先輩として私を介護(?)して下さった院長夫人、スタッフや家族の為にもやらなければ!!と強く思う気持ちが、私の「諦めボーダーライン」を大きく突き離してくれたのだと思います。
改めて、感謝、感謝です。本当にありがとうございました!!
そしてこれからも、ママさんドクターは皆さんを巻き込みながら色んな事にチャレンジしていこうと思います☆
院長のコメント
このように、出産と認定医審査を同時に終えた中山は、認定医審査での完成度の高さや、出産後の痛みに耐えながら面接を行ったことなども含め、認定医審査を担当する先生からは絶賛されただけでなく、多くの日本矯正歯科学会会員に、伝説として記憶されることになった。
さらに斎藤伸雄の専門医審査も、無事合格となったが、伝説となった中山の合格と比べ、圧倒的に地味であったため、記憶の闇に消えることになる。
ちなみに、2010年中山が受験した、日本矯正歯科学会認定医臨床研修終了程度検定審査は受験者10名中合格者6名、斎藤が受験した日本矯正歯科学会専門医審査合格率は受験者25名に対して合格者10名であった。
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